【体験談】クローン病を強く意識した時【挫折と再起の18年】

今日は筆者自身のことを少しお話ししたいと思います。

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病気を強く意識した時って?

クローン病(CD)を意識する時っていうのは、CDがゆえに辛い思いや経験をした時だと思います。
筆者がぱっと思いついた3つの時期についてお話ししたいと思います。

①高校生の発症時
②大学生の部活
③社会人になって自分の理想と体の現実とが乖離していった時

フィンクの危機モデル

その前に一つ。
「フィンクの危機モデル」とは、フィンクが外傷性脊髄損傷から永久的な機能障害を受けてしまった患者をみて、作成した概念モデルです。

つまり、治らない病気を患ってから、どうやってそれに適応していくか、ということです。
受傷から適応までのプロセスを4段階で示しています。

衝撃の段階→防衛的退行の段階→承認の段階→適応の段階
この4つを当てあてはめながら、筆者の経験を記載したいと思います。

①高校生の発症時

筆者がCDを発症したのは、高校1年生の3月ごろです。
診断された時は、原因がわかってホッとしたのですが。。

すぐに「治らない病気」ということへのショックで、精神的に辛かった。(★衝撃の段階)

「何で自分が」とか、「死んだ方がまし」とか。
「どうやって生きていけば良いのだろう」とか。
「生まれてこなければよかった」とか。

自暴自棄になっていたのだと思います。
しかし、進学校だったので、周りと同じように毎日登校して、勉強は続けていました。

自分の中で印象的なのは、
夜中までとにかくメイプルストーリーをやってました(笑)。(★防衛的退行の段階)

これも反抗の一つでしょうか。
現実逃避だったのでしょうか。

2Dのオンラインゲームで、当時は結構流行っていました。
鉄鉱石をひたすら集めて売る商売をしていましたね(笑)。
わかる人はわかるでしょうか?

高校2年生はそのような感じで、勉強はして、塾にも通って、ゲームもしっかりとして。
自身の中での葛藤のエネルギーは、母親に爆発させて当たっていたのだろうと思います。
母親とは喧嘩ばかりしていました。

高校3年生になって進路を決める際には、「病気を治す薬を作ってやる」という方向に向かっていました。(★承認の段階?)
でもこれは前向きな気持ちではなくて、苛立ち、運命へのあらがい、そういった逆説的なエネルギーでした。

②大学の部活

大学時代は運動部に入り、レギュラーとして練習に励んでいました。
運動は好きでしたし、CDの影響で運動ができないということはありませんでした。

部活終わりには食事会とかあるじゃないですか。
そっちが嫌だったんですよね。

もともと人付き合いは苦手で。
CDで食べられないものも多いし。
焼肉に行くとか言われようものなら、、、(笑)。
あとは早く休息を取りたいという思いもありました。

例えば高学年になってくると、筆者が食べられるところに行こうとかなるわけです。
うーむ、気を使われていることが辛い、、、(笑)。

結局、4年生の幹部学年が終わったら、フェードアウトしました。
5年生になるとポリクリといって、臨床実習も始まりますので、勉強を中心に力を注いでいました。

大学時代は発症から3〜8年目ぐらいですが、それほど問題なく、食事制限くらいで普通に生活を送っていました。
体の限界を感じたことはあまりありませんでした。

③社会人になって自分の理想と体の現実とが乖離していった時

社会人になってからは責任も生まれますので、よりいっそう食生活にも気をつけて生活してきました。

医師としては、より上を目指して努力してきました。
若いうちは伸びしろが大きく、努力すれば努力するほど伸びます。
自分で理想の自分を想定して、それに向かって次々に難易度をあげて成長することができます。

限界を感じることもなく、何でもできてしまうという達成感もあり、この時期はとても楽しいものです。
これが、医師になって7〜8年目くらいまででしょうか。

医師も9〜10年目が近づくと、自立する時期が訪れます。
医師としての進路を決めなければいけませんし、ストレスも強くなります。
筆者の場合、これが発症から17〜18年目です。

ちょうど、CDの病状も悪化してきて、体がものを言ってくるんですよ(笑)。
若い頃とは違うなあと感じだします。

体の不調がどうしても出てきて、疲労を感じやすくなり、スッキリと回復しない。
そのうちに、炎症が強くなって、狭窄症状もでて。
食事制限を極限までして、痩せていくのに、、症状は落ち着かない。

いよいよどうしようも無くなって、入院を経験し、レミケードを導入して。

こうなると、自分の理想像を追い求めることが難しいと気づくのです。
理想像はガラッと崩れてしまって。

CDなんだという現実に、改めて直面するのです、、、とにかく辛い。
精神的にも病んでしまって、公認心理師の先生の元に数ヶ月通ったり。

新たな自分像を作り出さなくてはいけなくなりました。(★承認の段階)
つまり、バリバリと出世街道をひたすら突き進むイメージ、から外れることを想定しだします。

ここから筆者の自分探しが始まりました。

本当にしたいことは?
将来に向けて何を楽しみに、どうやって生きていく?
仕事はどういうスタイルがあっているの?

転職も経験し、現在もなお自分探しの旅は今も続いています。(★適応の段階)

まとめ

今回は、筆者の体験からお話ししました。
CDの誰もが、衝撃の段階→防衛的退行の段階→承認の段階→適応の段階、を経験することになるでしょう。

承認の段階では、現実に直面して葛藤や挫折を経験します。
しかし、何度も挫折を経験するうちに、次もきっと立ち上がれる、と思うようになります。
精神的に辛くても、落ちるところまで落ちたら、あとは上がるのを待つのみです。
そして適応の段階へと進んでいくのです。

また折を見て、筆者の経験をお話ししていきたいと思います。ではまた。

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